2017年04月23日

こりゃまた

maple_flower.jpg初めて見たのであるが紅葉の花・・・紅葉に花なんぞ咲くんかいな。知らなんだ。

アジサイの花は萼であることは知っていたのであるが(萼=がく)、調べてみるとどうやら楓にも花があるらしい。 こんなこと言ってはいるが、紅葉と楓の違いをおせーてほしいものだ。

知らんことは多いものである。

2016年11月30日

チャリンコで

weather_satellite_center.jpg武蔵野をふぅうらふらしてたら、住宅地の中にいきなり異様なものが建っていた。 てっきり防衛設備だと思って玄関側に回ってみると気象庁の気象衛星センターであった。検索してみると設立当時は荒野の中にぽつりと建つ通信センターだったらしいが、トトロの里にほど近くそれこそ秘密基地のようであっただろうに。 近在には米軍の無線基地なんかもあるのでスパイ衛星を打ち上げたのちはここでも裏ミッションが与えられそうな気もする。

ひまわりの信号の受信や処理がメインの設備であろうが、日本の気象衛星からは膨大なデータ送信だけで民間で受信再生できる画像データは送信されていない。もちろん洋上などでも衛星ネット通信があるので処理済みの情報入手で事足りるのであるが、ひまわりは地上から見れば静止しており、米国のNOAA衛星のように数個の衛星が地球を周回してリアルタイムでFAX信号を発しているといったことはない。

ちなみにNOAAからの画像はうちでも再生できる。
これ⇩

NOAA20120808132819A.jpg

2016年09月21日

雨が上がったので

例によって土手をチャリンコでふぅーらふぅーらしに行ったのだが、草刈りの終わった朝霞当たりの土手に真っ白なバレーボールが転がっていた。そのまま通り過ぎたのだがどう考えても不自然であるので引き返してみると・・・やっぱし変である。

スリックタイヤなので恐る恐る土手をゆっくり降りてよく見ると、ゴムボールのお化けのような菌糸類ではないか。足でトントンしてみると反発力があり、思い切り蹴っ飛ばすと爆発しそうな感じである。

onifusube20160921.jpgこれ、オニフスベというキノコだそうで直径30p以上ある。真っ白な幼少期(成長すると茶色っぽくなるらしい)の奴は食せるらしい。2個あったが明日採取に行って誰かに食わせてみようかいな。ひょっとして今頃中国人の炒め物になってるかもしれない・・・世の中知らんことぎょーさんあるわ。

2016年09月20日

トヨタ アルミテープ

で検索すると新興宗教と紛うような胡散臭い記事が沢山出てくるのであるが、アルミテープ・・・新型車には張り付けてあるは特許は取ってるはで・・・うーむ日本マイクロニクスの物理電池とどっちが現実的であるのかどうか。

週末某所にてこの件の指導を受け、帰りに車にひゃっきんのアルミテープを貼って500kmほど運転して帰ったのであるが・・・燃費は何もなかった行道より0.3kmほど悪化してるではないか、しかも強雨だったので最も効率の良いと思われる速度で帰ってきたのであるが。おい約束と違うぞ!と思いながらも雨水による路面抵抗の増加か?いや良く滑るからそんなはずはないかなとも思いながら帰宅した。 帰ってテープを見ると剥がれかかってくちゃくちゃになっていた・・・うん、このくちゃくちゃのせいで空気抵抗が増し燃費が下がったのであろうと思うことにした。第1実験の結果は自動車にテープの糊のかすをこびりつかせただけであった。

寝る前にもう一度ググると、なんだ時速50km以下で有効なんて書いてあるではないか・・・

toyota_aluminum.jpgてなわけで新しいプラスティックの自転車の底にアルミテープを貼ってみた・・・ひゃっきんではないで、三菱アルミニウム社製の上等もので第1実験品の倍の厚みはある。時速もおおむね30km以下なので効果絶大ではないだろうか・・・そうだ、三菱製なので数字は良くなるはずだ、と期待は膨らむのである。

2016年06月25日

ふぅーらふぅーらと

自転車で武蔵の国の田んぼの中を走っていると昔の郷さとの鎮守の社が数多く点在していることに驚く。今日通りかかった八幡様なんか集落の割には立派で、成り立ちの看板には八百何年何とかという坊さんが(ええかげんですまん)この地に社を建ててとあったが・・・坊主が神社を建てるのか???と思いながらも、9世紀にこんなところで農村が存在できたのかと妙に感心してしまった。 なくようぐいす のちょっと後だから徳川家康以前は関東は未開の地であったという関西人の常識は(わしだけかも)この地の神々に対して不敬の至りであるのかもしれない。

大方のこのような社には日露戦争の忠魂碑が建っており、帝国陸軍の犠牲の大きさや国民の喜び方が尋常ではなかったことがうかがい知れる・・・もれなく建てられているといっても過言ではないもの・・・家の近くの春日神社にも神主はいないくせに立派な日露戦争の忠魂碑が輝いている。 一方あるにはあるのだが、膨大な犠牲を払った太平洋戦争の碑は少ない。おそらくアメリカから大東亜戦争という名称を禁止されたこともその一因だったのであろう。

chukonhi.jpg知らなかったのだが日露戦争のこと、当時は明治三十七八年の役と呼ばれていたらしい。写真の右側の石柱に半分隠れた小さい忠魂碑には明治10年の役と書いてあったので、西南戦争で鹿児島に攻め入って戦死した兵隊さんの鎮魂のためであろう。 農村は産めよ増やせよの時代だから兵隊の供給地でもあったことがうかがえる。 彼らは靖国に祀られたが、薩摩の兵隊も祀ってやればいいのに・・・だめか。


2016年05月23日

サミットが近いせいか

荒川の河川敷やスーパー堤防で白チャリにのった警察官とよくすれ違う・・・漢江じゃあるまいし荒川も警備対象なのだろうか???

bank.jpg上流の埼玉に入ったところから不思議な堤防がいくつもある。スーパー堤防から川の本流に向けて結構立派な堤防が左右から突き出している。前々から思っていたのだが、予想通り大洪水の時の水流の速度を抑えるためのものであると国交省のWEBで説明があった。霞堤というらしいが信玄公の治水の時からあったそうである。都心の霞が関も関係あるのかしら?堤じゃないから無関係じゃろな。 さて、東京都に入ると荒川にはそのような構築物はないのでおそらく大洪水の際は埼玉県で堰を切って墨田区を守る作戦なのかもしれないな。

蓮舫が文句言ったからこれから新造されることは無いだろうな。200年に1回の災害は対策不要らしいから・・・・

2016年03月18日

どうやら春になったらしく

201603racoon.jpg東京ではもうすぐ桜開花が発表されそうとのことだが、土手では雉が姿を現し昼間っからタヌキがうろちょろしている。

このタヌキというやつは極東の在来種で、沖縄・台湾には生息せず、毛皮の材料のためロシア・フィンランドあたりにもっていったものが繁殖して生息していると書いてあった。 アメリカのラクーン(アライグマ)とは兄弟ではなく、ラクーンはアライグマ科、タヌキはイヌ科だそうだ。

よく見るとイヌに似ているような気がする。昔浅草でタヌキを食わされたが・・・いかんなあれは。

2016年03月10日

東北の地震から

5年経とうとするが、あの日は石巻の全日ARに向かって東北自動車道を走っていた。1週間前から今思えば前兆とも思える相当規模に揺れがあったので、例年なら早朝でかけていたのだが、なんとなく嫌な気がして昼食後に出たのだが・・・大好きな国会中継をラジオで聞いていたら緊急地震速報が鳴った。ほとんど馬鹿にしながらも念のためにと思いブレーキを踏んで時速100km/hに落とした途端、対向車の照明を遮蔽する中央分離帯に何百本も並んだ板が風になびくチューリップのごとくガチャガチャ音を立てて揺れ始めた。前を見ると路面が旗のようにひらひら波を打っていて、その先のトンネルは形状を変えないそのままの形で上下左右に小石を落としながら動いている。「うぁ!本物だと」と思い路肩に車を止めた。しばらく揺れっぱなしでふとバックミラーを見ると路肩のガードレールが沈んでゆくではないかい。カメラを取り出す心の余裕もなくハザードを点けて走行車線をノロノロ移動した。心は完全に臨戦態勢ではあるが、このまま石巻に突進するか引き返すか判断に迷っているとさっきまで津波警報だったものが大津波警報、予想10mなんて言い出した。聞いたとたん「はぁーい!」と右手を上げて返事してしまった。

東京へUターンしようと福島で高速を出たのだが入り口はすでに閉鎖されていた。国道は渋滞で遅々として進まなかったのだが、不思議にガソリンスタンドには車がなく(尤も停電でほとんどのポンプが動かなかったのだが)、1か所看板の電気がついているスタンドがあったので窓を開けて「ポンプ動いてるっぺ?」と大声を出すとOKサインが帰ってきた。一台もいないスタンドで満タンにして国道に戻ったが全然動かず、仕方ないので脇道から福島市内に戻り、ルートインの駐車場をお借りして車で一夜過ごすこととした。市内は停電であちこち崩れてはいるが、コンビニでは整然と人が並び店員のヤンキー兄ちゃんも一生懸命客の整理に当たっていた。マニュアルの指示だろうか当初客は泊めないと言っていたルートインだが、夜中になって客を部屋に入れる判断をした。ちょっとでも寝ておこうとチェックインしたが懐中電灯と水を渡され、5p程ずれた非常階段から部屋に入った。もちろんドアは開けっ放しで電気もなく寒い。おまけに4階で余震の揺れはさらに大きい。寝ることもなく数時間で車に戻ったのだが、ルートインの奴普通に宿泊料取りやがったぞ。あれはポッケナイナイだと今でも信じて疑わない。

地震当日、福島では携帯が全く通じなかったのだがデータだけは時々送れた。通話は時々繋がったが東京方面は全く受け付けないので試しに島根にかけてみると運よく繋がったので東京に無事報告を依頼した。島根-東京はすぐ通じたらしい。

夜から悪い話があった原発の様子がいよいよやばそうだったので、明け方駅前に行き警察官に国道の様子を聞きにゆくと、う回路を過ぎれば関東まで出られるということなので、即時出発した。国道は応急補修され時々見える東北道は消防車や自衛隊の車両がどんどん北上するのが見えた。国道はノロノロと、それでも平均2-30kmで南下できたが、途中の交差点では全車輌規律正しくスムーズに交差や右左折していたのだが、1か所だけふん詰まりのように動きの悪い交差点があった。なんとその交差点だけ警察官が交通整理をしていた。多くの警察官が浜通り方面に派遣されたあとであるのだろう、ご老体ばかりであった。・・・彼らの存在は原因なのか結果なのか判然としないが、統計学的には前者であろう。

栃木に入ったあたりで店が開いていたので入ってみたら食料は全くなく、ペット飲料だけ残っていたので購入した。その時はすでに原発が水蒸気爆発した後で雨が降っていたのだが、ここは福島じゃないからという全く根拠のない理由で頭から雨を被ってしまったのだが、アホであったな。気が付いて帰宅後すぐにシャワーを浴び、衣類は選択したのだが、未だに禿げていないので大丈夫であったのだろう。

果して帰宅した時にはお土産に持参したレモンケーキ(焼き菓子)24個の内18個が食料として消えていたのだが、あれ以来レモンケーキは一つも口にしていない。 多くの犠牲者をだし不謹慎ではあるが、朝から石巻に向けて出発していたらおそらく石巻グランドホテル(川のそば)に入っていた時間であろうから、垂直避難で助かってはいただろうが新車は無くなっていただろう・・・

犠牲者の冥福を。

2016年01月25日

和歌山国体

ごろから大切に体内にしまっておいた4個の連鎖結石を破砕する手術から帰ってきたのだが・・・TUL(Transurethral Ureterolithotripsy=ちんちんからカメラ入れて結石を直接破砕するやつ)方式で脊髄麻酔だったのでずーっとモニターが見えていた・・・すごいな10年前は衝撃波による削岩機のミニチュアでドドドッドというたびに真っ赤に出血していたが、今や緑の照準レーザーで結石をとらえ安定したら出力を上げてみるみるうちに結晶に穴が開いてゆく・・・おい新米!穴空いたのに照射を続けると向こう側の尿管に穴空くんじゃないか!と思ってたら指導医が「そこで止めてつついて方向変えて」と言うてくれた。果して横から照射を続けると程なくばらばらに砕けるではないか・・・破砕そのものでは全く出血しない。感心して株でも買おうかと「どこの機械ですか」と聞こうかと思たのだが不謹慎なので辞めておいた。破砕そのものは10分程度の作業で、破砕片はバスケットカテーテルで引っ張り出して膀胱に落とす。なんだ車のエンジンルームの奥に落ちたねじを拾う先に広がる針金のつまみの付いた道具と同じでないかと思ったりもしたのだが、意外と簡単に破砕片を引っかけて引っ張り出してくる・・・器用なものであったが怖くて初めてですか?とは聞けなかった。

手術に先立ち腰椎麻酔を1本打つのだが、1本では効かず2本目を注入した。おかげで良く効いたのは良いが、3−4時間で切れるはずの麻酔の効果が12時間も持続しやがった。次の日の明け方まで下半身は単なる重りでしかなく、一瞬大丈夫か?という不安が横切ったのであるが無事麻痺は解消した。長い時間下半身が重りの役にしかたたない状態が続き、脊髄損傷の人はこんな状態なのかと思うとその不便さに同情を禁じえなかった。

出血があって自転車にも乗れないので、自転車で(なんのこっちゃ)本屋に「日本の兵隊さんありがとう」とかなんとかいう本を買いに行ったのだがなかったので、180度転進して「すぐにわかる 戦争法=安保法制ってなに?」を買って来たのだが;余りと言えばあまりのくだらなさで20ページ読んでごみ箱に捨ててしまった。1300えん帰せ・・・・。

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おい、返せだろう、普天間返せのかえせ。
人を帰す、金を返す。(後日追記)

2015年04月17日

荒川から隅田川へと

分流する地点に岩淵水門というのがある。今朝散歩代わりにチャリンコで荒川右岸(河口に向かって右側の岸=東京都側)を漕いでいると岩淵水門のすぐ手前の芝生の緑地帯で何やらやっていた。

普段車両通行止めの災害対策道路上にパトカー2台と紺色のバン、鼠色の乗用車が止まっていて芝生には黄色いテープの立ち入り禁止区域が設定されている。警察官は草むらをごそごそあさり、鑑識と思われる数人は写真を撮ったり近くの岩のあたりをごそごそしている。背広の二人組は無線機で何やら会話し、てっきり火曜サスペンスのロケかなんかだと思い通り過ぎたのだが・・・

待てよ!そういえば肝心の撮影クルーがいなかったんではないか? と思い引き返すと・・・本物の死体が転がっていたらしい。 ご遺体と思しきものはすでにグレーの袋に入れられ芝生の上に置かれていて、間もなく若手警官(こういう仕事はどこでも若手である)の手によりライトバンに積まれて運ばれていった。 夕刊にに記事がなかったので事件ではなさそうであるが、河原はどこでも何かありそうであるな。

ふと見ると止まっている車両のナンバーがすべて川口ナンバー(埼玉県)である。えーっ!と思って警察官の背中を見ると確かに埼玉県警と書いてある。このあたりは東京都北区のはずなんだが、と思い若いおまわりに聞いてみた。「ここは埼玉県警の管轄なの?」。おまわり曰く「そうなんですよ。なんでか埼玉、さいたま。」と繰り返した。警察官にして不思議だったのであろう。埼玉から荒川の橋を渡れば東京とみんなが思っているはずである。どうみてもここは東京の一部ですぐ隣には”北区占有地境界線”の白杭が立っているんだもん。すぐ向かいの斜面には芝さくらで”KITA-CITY"と描いた花壇まである。

iwabuchi_map.jpg帰宅して川口市のサイトからゼンリンの地図を広げてみると荒川右岸のほんの一部だけ川口市に編入されているではないかい。(水色で塗ってみた) じーくり見ていると気が付いた・・・この境界線は荒川放水路(今の荒川)が工事される前の明治初期の荒川(隅田川)の流れの真ん中の線ではないかと。 たぶんそうだろう。