2016年06月25日

ふぅーらふぅーらと

自転車で武蔵の国の田んぼの中を走っていると昔の郷さとの鎮守の社が数多く点在していることに驚く。今日通りかかった八幡様なんか集落の割には立派で、成り立ちの看板には八百何年何とかという坊さんが(ええかげんですまん)この地に社を建ててとあったが・・・坊主が神社を建てるのか???と思いながらも、9世紀にこんなところで農村が存在できたのかと妙に感心してしまった。 なくようぐいす のちょっと後だから徳川家康以前は関東は未開の地であったという関西人の常識は(わしだけかも)この地の神々に対して不敬の至りであるのかもしれない。

大方のこのような社には日露戦争の忠魂碑が建っており、帝国陸軍の犠牲の大きさや国民の喜び方が尋常ではなかったことがうかがい知れる・・・もれなく建てられているといっても過言ではないもの・・・家の近くの春日神社にも神主はいないくせに立派な日露戦争の忠魂碑が輝いている。 一方あるにはあるのだが、膨大な犠牲を払った太平洋戦争の碑は少ない。おそらくアメリカから大東亜戦争という名称を禁止されたこともその一因だったのであろう。

chukonhi.jpg知らなかったのだが日露戦争のこと、当時は明治三十七八年の役と呼ばれていたらしい。写真の右側の石柱に半分隠れた小さい忠魂碑には明治10年の役と書いてあったので、西南戦争で鹿児島に攻め入って戦死した兵隊さんの鎮魂のためであろう。 農村は産めよ増やせよの時代だから兵隊の供給地でもあったことがうかがえる。 彼らは靖国に祀られたが、薩摩の兵隊も祀ってやればいいのに・・・だめか。


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